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黒船館

石版画 T.IWAKURA (岩倉具視像) 彫刻会社製

2009年4月号

月刊「黒船館」

 今回の石版画は、石版彫刻師オットマン・スモリックによるものではないかといわれています。これを取り上げた理由は、この作品が彫刻会社製であることです。明治初期、民間の石版印刷に忘れてならない人物に松田緑山と梅村翠山の二人がいます。前者は玄々堂、後者は彫刻会社を興して活躍しました。

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  梅村翠山は(1839〜1906)今の千葉県生まれ、上京して木版を学び独学で銅版を勉強した人といわれています。明治3年(1870)、慶岸堂という銅版印刷事業を始め、明治7年、大蔵省紙幣寮の紙幣印刷の仕事から手を引くと、最新技術を求めて弟子の打田霞山と中川耕山を渡米させます。

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 そして、その年、前述のスモリックとチャールズ・ポラードを招いて、銀座4丁目に彫刻会社を設立します。しかし、明治12年、外人技術者の高給が不払いとなり、会社は国文社と合併、二人の外人と弟子の耕山は国文社へ移り、霞山は師匠翠山を顧問として第二彫刻会社を立ち上げました。

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 国文社に移った中川耕山(1851〜1899)は当時柏崎の出身です。名は良孝、通称長次郎、上京して翠山から銅版技術を習い、スモリックから石版技術を習得。明治10年に京橋西紺屋町に知新堂を設立し、国文社とも関係し、石版印刷での活躍とともに新技術の開発や若い技術者の養成にも努めました。明治32年8月18日歿、戒名長久院釈耕山信士。