

雛を川や海に流す風習は古くからありました。平安時代の源氏物語にも、身の穢れを人形(ひとがた)に託して祓う行事が登場してます。
室町時代からは、人々の厄払い儀式としてこのしきたりが全国に広まり、明治初期太政官通達により禁止されるまで、盛んに行われました。流し雛をしないと災難、悪病にあうとか、これが川の流れで何かに引っか かって止まると、災いが流れないと信じられていました。
かっては各地にみられた雛流しの習俗も、今ではほとんど姿を消しわずかに和歌山県加太の淡島神社などに残っているにすぎません。現存する代表的なものが、鳥取の流し雛です。
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これは赤い因州和紙で作られた男女一対の紙雛です。和紙を竹の骨にはり胡粉で白い梅鉢模様が書かれています。頭は土製で胡粉を塗り、簡単な目鼻を描き男雛は金紙の冠に袴、女雛は同じく金紙の帯をつけています。
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鳥取県八頭郡用瀬町では千代川にこれを流して厄払いをします。旧3月の節句に二組の紙雛を求め一組は雛壇に飾り、もう一組を神棚に祀ります。節句が終わると前年の雛と今年の雛一組をいっしょにして、桟俵に乗せお炒りや桃の花とともに川に流します。
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家に残 した雛は危急のときの備えとしました。桟俵には忘れずにタニシをのせます。お雛様はタニシが大好物で、これを食べながら人々の厄をおって長い旅をするのです。